医療をもっとオープンでフラットに~オンラインコミュニティ運営日記~

医療を自分事として捉え、みんなで未来を創っていくをコンセプトに2つのオンラインコミュニティを運営しています。その運営日記です。

25年経って分かること~いのちから学び、いのちの使い方を学ぶ~

「死別」。

 

この言葉を聞いてみなさんはどう感じられますか?

「死」は忌むべきものでしょうか?話題として避けるべきこと?

 

いのちとして産まれた以上、「致死率は100%」です。

 

高齢化が進み、以前より死を身近に感じている方は増えたとは思いますが、

それでもまだまだオープンに話せないものではないでしょうか?

特に、子供の死について。

 

こんにちは。緩和ケアを専門としている病院勤務の薬剤師です。

さらに、オンラインコミュニティの運営を通して、医療をオープンでフラットにすることに取り組んでいます。

 

本日は遺族としての投稿です。

 

私には忘れられない幼少期の死別体験が3回あります。

1つは祖父。1つは従妹。1つは同級生。

 

今日はそのうちの1つ、従妹の「死」について書こうと思います。

4月某日、従妹の25回忌でした。

みんなに愛され、小学生での発症から数年に渡り闘病生活を余儀なくされた従妹が

天に召されたのは、彼女がちょうど高校に入学する年でした。

 

とても優しい従妹で、病床より私にカードや手紙を書いてくれました。

姉が欲しかった私はとても嬉しかったのを覚えています。

 

私はその最期のとき、小学生で、その瞬間に立ち会い、

その時のシーンを鮮明に覚えています。

子供の目線の高さにはちょうどベッドで寝ている青白い従妹の横顔が見えた事。

 

廊下で壁に向かって泣き崩れる父、

ちょうど産まれたばかりの親戚の子供の名前を耳元で告げる叔母、

放心した状態の祖母、泣き叫ぶご両親。

ぴくりとも動かない、優しかった従妹。

一言も発しないその場にいる子供たち。

そのときは良く分からなったけど、初めて目の前で見る「死」。

 

「いつか死ぬ自分」を、痛切に感じて、怖かったことを覚えています。

それからの人生、「死」を身近に感じるきっかけとなった出来事でした。

 

今回初めて知った事実があります。

従妹は亡くなる数日前に、父に質問したそうです。

「私、死ぬの?」と。

父はこう答えたそうです。

「そうだよ」と。

そのことをきっかけに従妹は「死」について多くのことを語ったそうです。

25年経った今、従妹のご両親は、この出来事を父に「感謝している」と言われていました。 

今のように緩和ケアも、ホスピスも、まして小児のホスピスなんて普及していない時代です。(小児ホスピスの分野は今も遅れています)

 
医療的に見て、死期が近いのは明らかだとしても。

死にゆく環境が従妹にとって良かったとは思えないのです。

 

それでも、愚痴一つこぼさず、「死」についてきちんと語り、

「もう頑張らない」と、自ら死へと向かうことを決めた従妹。

 

その記憶が、今も関わった全ての人たちの中に息づいていて、

いのちを紡ぐ原動力になってると。

 

それから25年。

親戚の中にも新しい「いのち」が誕生し、

穏やかな時間の中で、従妹の「死」について語る時間は、

25年経たないと共有できなかった癒しの空間でした。

 

私自身も何度も「死にたい」という強い衝動(憧れ?)を抱えながらも、

無事にいのちを使って、今、素敵なスタッフと共に緩和ケア病棟で働いています。

 

「死」を豊かにすることは、社会を良くすることだと思っていますし、

かたちは変わっても、いのち続く限り、「死」に関わり続けたいと思っています。

 

そして、従妹と同じ状況の質問を受けたら、

私も勇気をもって「そうだよ」と、伝えようと思います。

それがどんなに辛い事でも、少女の想いに正面から向き合った、父のように。

 

それが、「従妹のいのち」から学んだ私のいのちの使い方なんじゃないかな~

と25年経った今年ふと思いました。

今まで、なぜ痛切に「死」にこだわるのか、分からなかったのですが、

ずっと探してた自分の大切な想いが見つかりました。 

 

嬉しいことに、今年、私の学びを繋いでくれる可愛い後輩ができました。

彼女たちもまた、それぞれに死別体験を抱えています。

全力で学びを伝えるので、共に、いのちを繋いでいけたらいいなぁ。

そうやって、見たい未来を創って行きたいと思います。

 
拙い文章ですが、「死」を片隅に追いやらず、「死」から学ぶことの豊かさを
感じて頂けましたら幸いです。

 

🌱 最後まで読んでいただきありがとうございました 🌱